日本政治の2重構造

昨日の総裁選の結果は、私はほとんど理解できていないので今日それを話すのは止めておこう。
以前から書こうと思っていた官僚(完了)について話そう。
日本という国は長きにわたり2重構造で政治が行われてきた。
平安時代末期に平家が貴族兼武士として政権をとった。
ここから2重構造が始まったとして、平家を破った源氏が鎌倉幕府を樹立し2重構造を確定した。
形式的には朝廷に委託される形であったが実質的に幕府が実権を握っていた。
つまり鎌倉時代は上にお飾りの朝廷があり、下に幕府という2重構造であった。
現代はどうか。
2016年公開の映画「シンゴジラ」を見たひとは思い出してください。
「俺たち官僚がこの国を動かしている」という様なセリフがありました。
映画「シンゴジラ」で国会(国会議員)が空転する中で働いたのは官僚だ。
国会議員が上にいて官僚が下にいて2重構造となっているが、いざというときは官僚が働く。
この国は実質的に官僚が支配している(いた)ことを映画のなかで明らかにした。
しかし...Aho政権やGASU政権ではそうとも言えない。
任免権を一手に握ったAの意向に沿う人を登用するという形でAはゆっくりと官僚の実効支配を始めた。
誰しも定年を迎えるので交代がある。2期6年以上総理を続ければかなりのポストが入れ替わる。
新しく任命された官僚達はAの意をくむ人たちが選ばれ、忖度政治を手伝わされた。
退官後の空いたポストを任命する権利のある総理大臣が長期政権であればある程この効果を発揮する。
分かりやすく言えば、Aは自分の言いつけを守る者を官僚の長として登用し続け官僚達を支配した。
官僚は上意下達機関に成り下がり、Aは官僚制度の良い所を破壊した。
Aは自民党議員を選挙で支配し、国会議員と官僚の2重構造の上と下を押さえた。
長期政権の何と楽なことか。国会と官僚の両方でイエスマンをそろえることができるんだから。
Aにとって国会の論戦など不要だった。自分の意思をやんわりとだが押し付け続けることができた。
Aは野党議員の意見など野良犬の遠吠えぐらいにしか思っていなかったことだろう。
民主主義は意見の異なる人たちと世論をもとに論戦を行い政策決定してゆくのが正しい形なのだが、
野党の言葉を無視するAは、まるでロシアのP氏の様にふるまい民主主義を脅かした。
代が変わってGASUは違う手口で官僚をあやつった。
Aに義理のない官僚は最初GASUを無視しようとした。
記憶に新しい事だが、「言うことを聞かない奴は首だ」と言い官僚を従わせた。
官僚は皆震えあがってGASUの言う事を聞いた。残ったのは委縮した官僚でその姿は完了した。
これと対極であったのが旧民主党政権だ。
笛吹けど踊らずの言葉のように何かを決定し官僚に命じても無視され殆ど政治を行えなかった。
民主主義や官僚をまったく理解していなかった当時のアホなpigeonとアホなKは
日本の政治を運営できなかった。
今の立憲民主党がどれだけ民主主義を理解しているか甚だ怪しいと思うのだが、
GASUの手口を見て官僚の操り方を学んだので、もし万一政権が変わったとしても同じ手法で
「いう事を聞かなければ首だと言って」官僚を動かすことができるだろう。
このままだと官僚はもう完了した、いわゆるオワコンになりそうだ。
だいたい官僚のほとんどは何でT大卒なんですかね。
彼ら彼女らは日本全国に対し政策や基本方針を作るのが仕事です。
なら人材は日本全国の各県から直接人材を登用すべきだと思うのですが。
偏らない政策を作るなら東大一極集中の現官僚の採用試験は間違っています(完了しています)。
あるべき姿は、人材を全て地方枠で選ぶべきであってT大や成績で選んじゃいけません。
日本全国全地方から人材を集めるべきです。
(逆に受験の際の国立大学の地方枠は最もあってはならない不公平なものだと私は思っています。)

前回の答え合わせ:ちあきなおみさんの「喝采」です。
総裁がT氏にならなかったことで私は安心したが、
何となく河野さんがかわいそうだったのでエールを込めて急遽作りました。
今日の曲名あては簡単だ。大きく変えなかったし、歌詞のなかに曲名がある。
この人の歌いかたは素人っぽいけれども聞いてしまうんだよね。
曇った空が続く永田町
センターシートが遠くなる
優しい言葉探せないまま
冷えたその手で涙を拭いて
いつかは皆立候補する
それぞれの立場で歩いてゆく
あなたの夢をあきらめないで
熱く生きる瞳が好きだわ
負けてしまっても悔やまぬように
あなたらしく輝いてね
苦しいことにつまづく時も
きっと上手に越えて行ける
心配なんて全くしていない
いつか誰かが必要とするから
切なく残る痛みは
しばらく経つと薄れていく
あなたの夢をあきらめないで
熱く生きる瞳が好きだわ
あなたが選ぶ政治の道を
遠くにいて信じている
あなたの夢をあきらめないで
遠くにいて信じている