全仏オープン

全仏オープンテニスの加藤選手の失格がいろいろ取りざたされている。
私は大学で体育会系テニス部にいたので分かることもあり、補足説明しようと思います。
ちなみに、私は今回の試合は事件のワンシーンしか見ていません。
加藤選手がボールをボールガールに渡そうとしたのはレシーブ側であるからだ。
気を利かせてサーブ側の相手選手のそばにいるボールガールにボールを渡そうとした。
結果論を言えば加藤選手はボールをネット際にいる別のボールガールに転がして返せばよかった。
あるいは、ネット越しに軽くはじいて壁に向けて転がせばよかった。
壁際のボールガールはサーブ側の選手にボールを渡そうとタイミングを計っていて
自分のほうにボールが来ることに全く気付いていなかった。
加藤選手も方角を合わせたが高さを合わせそこない、ワンバウンドではなくダイレクトに
ボールが飛んで行きボールガールの左後頭部にボールが当たった。
彼女はおそらく痛みで泣いたのではなく驚いて泣いたのだ。
そしてドキドキして泣きやまなかったのだろう。
審判は何が起こったか全く把握していなかった。
相手選手も何が起こったか見てはいない。
泣き止まないボールガールを見てここぞとばかり相手選手達二人は審判に詰め寄った。
フランス人の審判かどうか知らないが審判の知っている言葉で、近くでわめきたてたのだろう。
焦った審判は警告から失格に切り替えた。というのが真相だろう。
今はどうだか知らないが私達(もと)男子テニス部員はボールを相手に投げて渡すのが
正しい礼儀と教えられた。
しかし女子選手は直接投げて渡すことはしないで、ラケットを使ってボールを渡す。
なぜなら上手投げで遠投できる女性は殆どいないからだ。
(こんなことを性差別だなんて馬鹿げたことを言う人がいるかもしれないので一応言っておきます。
上手投げでボールを50m投げられる女性は文句を言う権利があります。)
相手方選手の話をしよう。その試合は3回戦だった。
ほかの大会でも4大大会(全豪、全仏、全英、全米)でも勝つごとに賞金は倍になる。
試合途中で楽して賞金をもらおうとすればモラルのない人はこのような事をするだろう。
大昔、別の日本選手がテニス雑誌に書いていた記事を思い出した。
審判のいない外国の大会の予選でセルフジャッジをお互いの選手がするのだが、
きわどい球を自分に都合よく判定するスポーツマンシップのない選手がいると書いていた。
自分がきわどい球を線の内側ぎりぎりに入れたものを勝手にアウトと言われてしまうのだ。
ハングリーの度が過ぎた人たちがそういうことをする。
今回の相手方の選手たちはそういうことをしてきたんだろう。
そして大会運営者側について考察しよう。
大会に出ている選手達や昔の大選手達はこぞって加藤選手の肩を持つ発言をしている。
警告でとどめておくのが正しい判断であり失格はオカシイ。
ただ、こういうのは現場の雰囲気というものもある。
何しろ10代の女子が泣いているのだ。選手の若い女にはやいやい言われオジサンは陥落
我を忘れて雰囲気に飲まれ、より厳しくしなければと思い失格としたのだろう。
最も間違っていることは、一度決めた警告という裁定を覆して失格にしてしまったことだ。
もう試合から時間も経っているのに大会運営者は何も言わない。(訂正、謝罪がない)
ここで気づいてほしいのは、私が時々言う「決定権は何処にあるのか」だ。
決定権は大会側にある。
一度審判が決めたことは少々のことでは覆らない。
大会運営者は審判をはじめ総元締めなのだから権威が最もあるところだ。
選手の言いなりになると権威が落ちると思っている人達が運営している。
審判の2度目の決定が間違っていたなどとそう簡単に認めることはできない。
しかも大会は必要以上に鼻の高い仏蘭西だ。そして根底には人種差別があるのだろう。
彼らにしてみればフランス人の少女が泣いた事が発端で
アジア人に謝るなんて簡単にできることではありませんよ。
全米などの大会の方が人種差別問題に敏感なので大会運営者は素直に訂正、謝罪するだろう。

前回の答え合わせ:牧村旬子さん石原裕次郎さんの「銀座の恋の物語」で有名なデュエット曲です。
今回の替え歌は私の世代としてはこのアニメしかない。
でもTV放送当時からこんなプレーできるわけないとか、フォームがひどいとか私は言っていました。
1番だけを替え歌にしました。
ダブルスではだれでもふたり ふたりきり
私のプレーも 私の苦しみも
皆が わかってくれる
きらめく風が走る 太陽が燃える
唇に バラの花びら
私は提訴しよう 一人の選手として
サーブ スマッシュ ボレー
弁護士を呼んで
提訴 提訴 提訴
提訴をしよう